2011年7月1日金曜日

「永遠の0」を読んだ。

作家、百田尚樹、1956年生まれだから、55歳か・・・・・。凄く面白くて、読んだ後も何日か余韻の残る小説だった。この物語の登場人物が語る宮部久蔵(零戦操縦士)という人物から見えてくる太平洋戦争から第二次世界大戦までの歴史、そして、その時代を生きた日本人の心、また、現代にも続いている身分制、エリート社会の落とし穴が、要所要所で強く読者の心の奥底を揺さぶる。
とに角面白く、今が旬な本なので、読んでいない人には是非読んでもらいたい一冊です。

日本人の愛の深さ・・、善悪だけでは計り知れない、愛の形。福島の原発事故で、このような日本人の行動をを賛美する国際記事があるらしい。どのような局面でも、我を失う事を避けようとする気質。平常心で過ごそうとする努力。元来、このような国民性を持つ日本人が、特攻態員と成り得るとは、狂気の沙汰が世界を翻弄していた。

特攻隊を語るとき、狂気の沙汰は日本であり、特攻作戦を考えた軍部であると思いますか?私は、そうは思わない。確かに地獄の中、狂気の沙汰となった兵隊やエリート将校もいただろう。しかし、これは僅かな人数であったと思う。しかし、特攻員を始め、戦争で命をかけて戦った人達の多くは、狂気の沙汰となり、非日常を生きたのではない、むしろ冷静、正常心を保ちながら特攻出撃したのだ。ここに、まだまだ、私たち若輩者には知りえない世界があると思うのだ。

ただただ、失いたくない、取り戻したい、極極見慣れた日常を守るために命を懸けて戦った人達。国のためなんかじゃない!朝起きてご飯を食べ、仕事に行って汗を流し、夕方家に帰ってくる。お風呂に入り、家族で夕食を食べ、今日一日の余韻を過ごしながら眠る・・、たったこれだけのために、こんな平凡を手に戻すために命を懸けた。
このことを私たちは忘れてはいけないと思う。風化することがないよう、肝に銘じておかなければならない。

戦争をしていい道義は何処にもない。人を殺していい正義はけしてない。
人間は、もっと成長しなければならないと思う、この小説に中で、「日本人は戦後道徳を失った・・」との言葉がある。今や、道徳を失った政治家ばかりがテレビに出てくる。本当にどうしようもない。
政治家の言葉が軽すぎる、テレビタレントのよう。しっかりと一言一言を断言する強さをもってもらいたい。

資本主義仕組みに民主主義を奪われたあげく、更に、震災に復興に直接手を下すのはファンドであったり、民間企業であっていいか?国のありようが問われる。何のために税金を納めているのか?
いざとなっても国は直接助けてくれない、日本人を守ってくれない。それどころか、資本主義者との仲介役に成り下がってしまっているように見える。公表されている救済案で救われるのは、企業であって人ではない。企業を救わなくても、生活を救う事は出来る。必ず出来るはずなのに、なぜ行政はそれをしないのか??その答えは明確、資本家に政治家が操られているからだ。資本家が人の生活を救う・・ような理屈はウソだ。だとしたら、それは国家存続不必要で、独裁国家への道の始まりだと言えるのではないだろうか。

資本主義では、本質的平等を確立事は不可能と私は思っている。資本主義とはイコール金銭主義、「資本主義」の言葉で見えなくしているが、「金銭主義」だ。「資本主義をどう思いますか?」と質問されれば、体裁の良い答えが出せるかもしれないが、「金銭主義をどう思いますか」と質問されたとき、人格的体裁が整うような肯定的答えを出せるだろうか。

今もって尚、戦争当時と同じような仕組みの中に日本人は居ると言う事を認識する必要がある。先にも言ったが、戦争をしていい道義はないし、戦争は善とはなりえない、これは知識人の常識だ。さすがに第二次世界大戦のような露骨な攻撃はしない。(中東では行われたいるし、戦争したい人たちは居るが)しかし、ビジネスマンのお面をかぶり、武器の変わりにお金を持った戦士が世界中で侵略し続けている事実を社会全体の流れとして認識し、メリット、デメリットを明確にした後、私達は何を選びどう覚悟して生きていくのかを、今一度立ち止まって考える必要が、社会全体にあるのではないだろうか。

今の世の中の問題を解決するには、小さな行い一つ一つではなく、全体の仕組みそのものを変える必要がある。しかしながら、大きな仕組みを変え得る政治家がこれでは、希望の光は見えてこない。
第二次世界大戦時において、日本人が団結して、苦難を突破出来なかった大きな要因は、エリート将校の体質であったことは否めない事実。今日の難局に際し、第二次世界大戦の二の舞を踏むような事は絶対にあってはならない。人生をかけて戦った人々を思う・・・・・。

「永遠の0」主人公である宮部久蔵に習うものが、現代の日本人にはある。

0 コメント: