2011年6月22日水曜日

疎開を希望される方はこちらまでご連絡下さい。~私の疎開話~

3.11東日本大震災が起こった。
私は、東京都小金井市の自宅庭で、主人の髪の毛を切っていた。
中々時間が取れず、随分と主人を待たせていたが、ようやく切る事ができた日、
昼間から、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていた。

3時ごろだったか、僅かな揺れを感じた直後、
ひどい揺れが遅い、私も主人も庭のウッドデッキの柱を手で押さえた。

我が家は、幸い、隣が大きな都立公園だったので、始めから地震の心配は全くしていなかった。
庭から直ぐに外に出れるので、地震で命を落とす事はなだろう・・・とは思っていたが、
見ると、公園側の空き地に、お隣に住む中年の男性と、反対側の隣の隣の家に住む高齢女性が家から出てきていた。しばらく家には入る気にならなかった事を思い出す。

3.15に出張を予定していた主人。
こんな事態でどうしたものか、店の商品の仕入れだったので、行かないわけには行かない。
しかし、この後どうなってしまうのか?非常に不安な中、主人もいっぱいいっぱいになったのか、
先を案じて、「今すぐ西へ避難しよう」と言ってきた。
私は、よく話を聞いたものの、一度避難するという事は、二度と帰れないかもしれないという事・・・と思い、「今すぐには、いろんな意味で動く事は出来ない」と言った。この時点では、主人と私の足並みが整わず、喧嘩にもなった。

当時の東京は、とに角普通、普段と何も変わらない。穏やかな小春日和で、外に出ると、今、福島で起こっている事がまるでウソのような、非常に危機感を抱いている私がおかしいかのようにも感じられる、そんな感じだった。

家に入れば、ラジオにテレビ、ツイッターと三本立てで、常に情報収集に当たっていた。刻々と移り変わる第一原発から目が離せない、非常に不安だった。子供に放射能と浴びさせたくなかった。

数日の間、とに角、主人と何度も話し、結局、この先の事を考えて、
私がちゃんと子供を守るから安心して欲しい旨、絶対に危ないと思ったら必ず、子供をつれて非難する事を約束し、主人はミャンマーへ旅立った。いつものように吉祥寺からリムジンが出ず、危機一髪、新宿発のリムジンに乗る事が出来たことは、本当に幸いだった。

私は、主人を送り出した後、覚悟を決めて、私に大事な子供を委ねた主人の気持ちに反する事がないよう、
必ず、子供を守る事を一番に考え行動する事を心に誓った。

当日だったか、風向きが東南だったので、放射線物質が東京にも流れてくると思い、子供達に学校を休ませた。
2日休ませたのかな?三日目の朝、「今日は東京を出よう」と決心した。
この日は朝から、私は完全に風邪の兆候があり、「今動かなければ、動けなくなる」と、
動くなら今!の決心・・と言うか、もう神からの御告げのようなものだ。
いつ、この時が来てもいいように、準備は整えてあった。

行き先は、出張前に主人がアポを取っておいてくれたので、そこへ先ず確認の電話を入れる。
「散々考えた結果の結論なので、私は東京を出ます」
と、主人の友人に言うと、「そう思うなら、そうした方がいい、来なさい」と言ってくれました。
私は、もし、受け入れてもらえなかったとしても、私は必ず東京を出る!と心に誓っていたので、
後は、いい流れのほうへ、ただ、ただ、流れを受け入れて行こう!と、心に誓うというか、もう、この先は、神様の声に従おう・・と、ただ、それだけなんです。

この日は、いろいろな準備があったので、子供を傍において置く事の方が不安にさせると思い、子供達を学校に行かせることにした。
登校前に、「今日は東京を出るかもしれないから、友達と遊ぶ約束はしてこないでね」と告知。子供は「エーー」と、半分心配、半分は、ドラマチックな思いを持ったように感じた。

子供が学校に行っている間に、フェリーの手配をし、仕事道具と、当面の生活必需品をそろえた。
のり、梅干、玄米、出し、煮干、ドライフルーツにおにぎり、取り合えず、食べる物はある。
ワゴンアールにそれらの荷物を乗せて、準備OK。
子供が帰ってくるなり「東京出るの?」「今日出るよ」「えーーー、ホントウニデルンダ・・・」
いざとなると、少し不安そう。

でも、予定通り、家を出て、高速へ向かう。
たまたま、震災の前日にガソリンを満タンにしていた。これで、四国まではいける。ガソリンが不足していたので、都内どこのスタンドも営業していなかった。友人に高速に乗ればガソリンがあることは確認をしておいたので、その点の心配はなかった。
道中、信号は止まっている。おまわりさんの手信号・・・、こんな東京は始めてみた。非常事態だった。

一年前に脱ペーパーをしたばかりの私、中央高速には乗った事は何度もあるが、首都高は初めて、お台場まで首都高に乗らなければならない。首都高は怖くて、普段なら絶対に乗らない高速だったが、でも今は乗るしかない・・・、乗ってみると、やはり非常事態、車少な!意外と大丈夫だった、でも必死だった、でも冷静だった・・・。あっという間にお台場へ、気持ちよかったー。

初めての有明港、貨物の大型トラックがぞろぞろ、迷子のように、周辺をうろうろするワゴンアール一台。
大型トラックのおじさんに、フェリー乗り場を聞くと、「ついて来な」と車で先導してくれた、ありがたい。
こんな時に子供に辛い思いはさせられない!とに角楽しく旅行気分でいさせて上げたかったので、一等個室のチケットを買い、フェリー乗り場で、乗船時間を待った。
夜7時30分頃、乗船。子供達は、初めてのフェリーに満足そう・・良かった。
一等の個室に入り、出港を待つ。
時間になり、出港!船が動き出した瞬間、「東京を脱出できたーーー」数日間続いていた、胸を締め付けられるような苦しみ、から解放された気がした。新しいステージへ。


私は、東京を出る当日は、本当に体調が悪く、みるみる声が出なくなっていた。以前にも風邪を引いたとき、声が出なくなった事があったが、その時以上に声が出ない。今思うと、間違いない、放射能の影響。私は、敏感な方だと思う。予断だが、以前、美容師をしていたときに風邪を引き、
予約のお客さんもいるので絶対に休めない日があった。しかし、体は非常に辛く、風邪薬は飲まない主義の私でも、さすがに飲まないわけにはいかない状況。
同僚に薬をもらい(たしかパブロンだったか・・)飲んだ。ものの5秒で薬が効く!信じられないかもしれないが、自分でも驚く程、みるみる体調が改善かれたので、目の前にいる同僚に、「もう良くなった!5秒で効くね!」と言うと、
「ウソーー」と結局信じてもらえなかった事を思い出す。

有明港出港!翌日の午後1時30分徳島へ付く予定。

(・・・続く・・・)


この続きを後日書きます。
一長一短には行かないドラマ、いろんな気持ちが沢山!沢山の葛藤・・、でも一番大切なものを守る事だけで走り出した。走りだ足たら、どんどん扉が開いていった。扉を開ける鍵は、本当の自分の気持ちだった。

疎開を希望する人連絡下さい。一緒に考えましょう。

0 件のコメント: