CGアニメ映画「9」を見た。ティムバートンの名前が前面に出た映画だけど、監督は彼ではなく、新鋭クリエイターのシェ-ン・アーカーって言う人らしい。もともと短編(10分)で作られた「9」を伸ばした形の映画なんだろう・・・、見た感想もそんな感じでした。
良くあるパターンの映画、人類が科学の英知を駆使して作り上げたロボットに生命エネルギーを転写、その後、人間を襲うロボットと化し、人類対ロボットの戦いの末、人類が滅びる。その寸前に一人の科学者(マシーンを作った科学者なのかな??)が、人間の誇りを手作りの人形にたくし死ぬ。ロボット同様、生命エネルギーを転写された人形だ。その中の「9」と呼ばれるロボットが、マシーンを倒す。終盤は生き物としての情緒をクローズアップした形で、最後は、生命の浄化で終わる・・・こんな映画だったと思う。
「第九地区」もそうだけど、キリスト教では9の数字が特別な意味を持つようだ。
この映画の中で、生命エネルギーを転写するためのフィルター(転写のするための変換装置みたいなもの)が出てくるんだけど、この存在が、「2001年宇宙の旅」の冒頭に出てきた宇宙から降ってきた大きな石版と同じ存在のように思われたのは、私だけかしら?
全体的にはつまらない映画だったけど、改めて、人類が最終的に捜し求めている物は、この転写機であり、岩版に準えたある物なのではないだろうか。無常の世界の中にある絶対的に信じたい何かなのではないかと思った。
人類の未来には、地球から孤立する立場ではなく、地球の循環の中に参加する参加、融合する立場ないし、行いをして生きていく事が有効。始まりは宇宙であり、地球であり、大地である。終わりもまた同じ事だ。ならば、生きている間もその範囲内なのではないだろうか。今の世界だけが切り離された物だと思うから、とんでもなく怠慢になるのであって、すべては、循環の中にあるだけだ。質素に謙虚に生活をして、大地としっかり繋がっていれば、自然に人類が探している人類の鍵が分かるんじゃないかな・・・、人類の鍵はヘッドじゃなくてハートにあるもの。
頭は感じた物を解読する所だから、その前に受信する五感が育たなければ鍵は見つからない。また、五感があっても、互換性が無ければそれを認識する事は難しい。
では、どのようにしたら、五感が育ち、互換性育まれるのか?私個人としては、自分の気持ちと好奇心に真摯に向き合う事、そして、それらに従う習慣を身に付けることだと思っている。失敗もあるし、ハプニングもあると思うが、経験として、必ず磨かれ、成熟していくと信じている。人間の本質、人間が人間である所以はは、慈悲の心や自利利他の心だと思うからだ。
昨日、家探しをしている最中、間違って入った道があった。あるところまで来ると、前頭葉がぐわーっと広がってくる感覚になり、直ぐに私は、この場所から特別なエネルギーを感じた。
特別な物があるわけではなく、ただの山間の風景何だけどね・・・。本当に美しい山間の地域、何とも美しい場所だった。
今思うと、それは、おおきな生き物の息吹だったのではないかと思う。とっても大きくて、調和の取れた一塊のエネルギーが育って、安定している場所だったのかな・・・??。今日は雨だけど、折に付け、足を運びたい場所だ。
↓面白いから見てください。
小出裕章インタビュー
現役官僚、古賀プラン
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