2010年10月11日月曜日

百人かみつきザル捕獲

今朝の東京新聞の記事に、静岡県三島市で捕獲されたサルについての記事を読んだ。
懸賞金が20万円、捕獲されたサルは飼いザルであった可能性を示唆している。
おりに閉じ込められたサルは、終始、人から顔を背けてうずくまっているとの事・・・。
このサルの処分について、殺処分もやむを得ないとのコメントがあった。
この理由として、この猿を野に放せば、野生のサルに、噛み付く文化が広まるかもしれないから・・とか何とか・・。

私は、専門的なことは判らないが、随分と狭い見地だと思った。
一匹のサルからサルの世界に噛み付き文化がはびこる??さるって、噛み付く生き物だよね・・・。
人から顔を背けて、うずくまっているサル・・・人が恐いのではないのか・・・・。

対人間については、殺人犯であっても死刑に対して廃止を訴えている声が取り上げられているにもかかわらず、100人にしても噛み付いただけで殺されてしまうサル・・・、サルの気持ちも知らないで・・・。
人間なんてこんな者・・・。サルが理由も無く人に噛み付くかしら・・・。

遺伝子組み換え作物についても、MOP5で「責任と修復」についての既定が話し合われているそうだが、何処まで行けば、人は、自分達を生んだ地球よりも、お金を大事にする事のおろかさに気が付くのか、懸念材料が拭い去れない中で、今尚、遺伝子組み換え作物の研究と実用化が進んでいる、更に生殖能力を持たないGMサケが近く、アメリカで承認されるそうだ。
生き物から生殖能力を奪い、その結果、種を有料独占する企業が発展を遂げる、こんな可笑しな事が、世界の高学歴、高収入、インテリ層の間で行なわれている。ばかげた事だ。
遺伝子組み換え作物を食べたマウスは、肝臓、腎臓の機能低下と不妊、免疫不全などの症状が出ていると、各国から報告されているそうです。家畜のえさには、これらが当たり前に使われているそうですので、くれぐれも気をつけたほうが良い。狂牛病で最愛の娘を亡くしたイギリス人が、「1パーセントの疑念があれば、それは避けたほうが良い」といっていたが、その通りだと私は思う。数多くの疑念がある中で、遺伝子組み換え作物が推奨されている実情を見ると、政府はトコトン経済最優先なのだと、この場に及んで言葉もない。「おまえ達、遺伝子組み換え作物を一生かけて食べ続けろ!それが出来るのか!」といってやりたい。

このような、ばかげた事が推進されている世界において、国民健康保険がウンチャラ・・などといっても、全く意味が無い。誠に0ベースで人間に必要なモノはなんなのかを箇条書きにする所から始めた方がいいのではないだろうか。頭が良過ぎるのか、頭を使いすぎ!何でも「過ぎ」は良くないよ。

いろんな事を考える時、子供の教育が最も大切な事だと、そこに行き着く。
体力低下は、子供に木登りをさせないから、路面でケンケン遊びをさせないから、お稽古ばかりさせて、子供の自由を奪っているから・・・・・。東京の私の子供の学校では、雪の日に学校で雪合戦禁止なんですよ、信じられます???
自主性にかけるのは、間違った事をした子供の頭を撫でてあげないから・・、意外な意見を膨らませてあげないから・・・、判らないことを分からないと大人が言わないから・・・。時間に任せるゆとりを大人は持ったほうが良い。

勉強に関して言えば、子供の想像力を活性化させるような教え方が望ましい。答えをその場で出し、確認する事ばかりが能ではない。生活の中で活用できてこその学びである事に立ち返り、いかに生活に取り入れた授業内容にするかに、先生方の力を注いでほしいものだ。私は、興味の無いことには全くと言っていいほど、取り組まない子供だったので、学校の授業は、退屈で仕方が無かった。中学2の後半からは、殆ど授業には出なかったが、今となっては、後悔している・・。大人になって、初めて勉強する事が素晴らしい事だと気づかされた愚か者だが、その分、楽しい学びが何処にあるか、子供の気持ちは良く分かる。

子供を育てる事は、本当に大変。私も本当に辛い時期が長くあったけど、今は子供といる時間が一番大事です。子供を育て上げた人に「今が一番いい時期よ・・」って、言われて、「そうなのかなーーー」って思ってたけど、最近、「そうかもしれない・・」って思う。幸せって、気付いたら、残り僅か・・・なんて事があるのかなーー。この前、下の子供とあと人生何時間あるのか、計算してみた。下の子供は7歳で98歳まで生きる予定だと言ったので、残りは92年、92年×365日×24時間=805,920時間・・・・えーーー、たったこれだけ~~~~!一億とか一兆なんて数字は当たり前に飛び交うこの時代において、たかだか、八十万??なんて短いの・・、と驚いてしまった。
私は、80歳まで生きる予定として、(80歳ー38歳)×365日×24時間=367,920時間か~。

(ここで思った、幾つかの単位で括るよりも、一つの単位で流した方が、意外と感覚的にわかりやすいのね!)

世の中の、不道理を思うとき、子供と一緒に居る時間をもっと大切にしてほしいと願う。母親が子供とべったりしている時間は、たかだか6年だろう。この6年が人の一生にとってどれだけ大切かは、計り知れない。この間、未熟な母親であっても、暗い時期があったって、いいのではないだろうか。完璧である必要は無い。子供の幸せを願う気持ちと、可愛い・・と思う気持ちがあれば、何とか成るのではないだろうか。(しかし、可愛い・・と思えないとしたら、それは、他人の助けを求めた方がいいと思う)
また、それに加えて、木登りをさせて上げられる世間のゆとりが必要だ。子供が自由に外で遊べば、おのずと親は、外と関われるものだ。この点は、発展途上であった頃のほうが、ずっと進んでいたのではないだろうか。

あえて、外と関わる必要がなくなっている昨今、どのように外と関わるのかを選ぶことが出来るようになっている。言い換えれば、別に関わらなくても生きていけるのだから、好きなように関わればいいや!と楽観的に成る事も出来るのだ。好きなようにすればいいのだ。そのときに見えてくる世界が、本当の世界なのではないだろうか。そこに実態があるのだと思う。好きにしてみれば、本当の愛が見えてくるかもしれない。人は宇宙の果てまで繋がっているのだ。

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