ウーーー、今日、やっと映画「悪人」を見ることが出来ました。
原作を読んでいた人と読んでいない人では、感じ方が違ったのではないかナー。祐一像について、かなり端折っていたし、登場人物同志が複雑に入り混じっている感じも表現できていなかったように思う。
映画では、世の中のシステムの中でモデル的な恵まれた環境の中で生きている、凄く性格の悪い若者、増尾と、田舎者で悲しい生い立ちで、都会の流れからおいて行かれた若者、祐一から見えてくる「悪」に集約されているようだったが、この物語の本当に掴みたい部分は、祐一が行なっている「善」であると、私は思うのです。裏タイトルは「善」なのだ^0^;イヤホント!同じストーリーを裏から見た「善」と言う心にしみる・・・・を書いてくれないかなーー。
原作の中で祐一が言った言葉に「・・・でもさ、どっちも被害者にはなれない」と言うセリフがある。
母親にお金をいやいやせびっている事をヘルス嬢に話した後のセリフだ。母親は子供の祐一を捨てた、その事を大人になった祐一に会うたびに泣いて謝っていた、そんな母親に金をせびった祐一が言ったセリフだ。
私もかねがね、「善人を作れば悪人が存在する、人は良い人であろうとするが、良い人が作られれば、それと同時に悪い人が存在するんだ」と話す事がある。子育てにおいても、自分の子供が良い子であって欲しいと思う親が沢山いて、子供同士が玩具の奪い合いなんかをしていると、「00ちゃんに譲ってあげなさい」なんてシーンには、子供を育てた親なら必ず遭遇しているであろう。時と場合によるが、その裏に「00ちゃんは良い子ねー」と、なんというか、いやらしい下心が見えることも少なくない。
一見いい人であろうとする人が今の時代目に付く。
「良い事は人に気付かれないようにするものだ」この事を実践していたにも関わらず、悪人になってしまった祐一。祐一は、一つの弱さ故に悪人になってしまった、その弱さとは、人を信られない弱さではないだろうかと、そんな風に思った。絶対にどんな事があっても信じられるものが子供には必要なのだ。それが母親なのだとこの映画で改めて思った。
ラストの方で、祐一を育てた祖母、房江が家の前にたむろしているマスコミを前に立ち止まるシーンがある。
ここで言ってほしかった「祐一は良い子なんです!」と・・・。世間体を考えて、思っていても言えない一言ってあるじゃないですか?政治でもそんな一言が聞こえてくるシーンがありますよね。友人との会話でもあります。また、言えない一言ってある。その一言の持つ背景は、他人には見えないもの・・・、でもその一言は、大きな一言で、見えないけど、大切な根幹を流れる一言だったりするんです。その一言を言っても現実は何も変わらないかもしれない、でも、その一言を言う事で、本当の現実が見えてくる事もあるのだと、そんな事も思ったりしました。
光代が灯台で「何か言ってよ!祐一は何も言わない!」と言うシーン、祐一は「ずっと一緒には居られない、光代も分かっているだろう・・・」と言うやり取りがある。言ってもしょうがない・・・・本当にそうなのだろうか。しょうがあろうが無かろうが、言うことに実があるのだ!と私は強く思う。言う事の先に何も無くて良い、言うことに意味があり、それが全てであっていいではないか。ぶつけっぱなしで許される関係が人には必要だ。本当は良い人なのよ・・・って、そんな強さが必要だと、いろんなところで思う。信じる事が許される世の中であってほしいと思います。
ンーーーーン、出所してきた祐一と光代の幸せなドラマがみたいゾーーー。
ガマンしても泣けた映画だった。原作がかなり省略されていた分、役者の演技、表情がかなり際立っていた映画でした。佳男が佳乃が殺された現場に行ったとき、現れた佳乃の亡霊、「誰がおまえをこんな目に合わせた?」と聞く佳男を見る佳乃の表情が抜群だった。それと、光代が働く職場の先輩、水谷役の役者・・名前が出てこないけど、その役者がやるのかなーーーと思っていたが、いやいやピッタリでおまんがな!ワンシーンしか出てこないが、存在感ありありで、配役がよかったよーーー。
あーーー、限がないな、こりゃ。
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