現在の日本における住居環境は、全体で凡そ95平米とされている。
この数字はフランス、ドイツ、イギリスと比べて決して狭くは無い。
アメリカだけは148平米と、とても広いが・・。
しかし、持ち家と借家とでは大きな差があり、借家に関しては、持ち家の半分にも満たないのが現状である。
ドイツなどでは、所得階層ごとに異なる住居補助政策を取っている。
中位クラスには、低利の資金供給をして、家を買える補助をし、下層には、地主への家賃補助をしていたりする。これらの補助制度によって、借家と持ち家との差は、明らかに緩和されている。
1998年の統計では、日本は全体で92.43平米に対して、借家は44.49平米で、この落差はフランス、イギリス、ドイツと比べても非常に大きい。ここでもアメリカは全体で151平米、借家でも113平米と驚くほど広い。日本は、政策的に目指す所の「誘導居住水準」では3人で都市住居型では75㎡、一般型では98㎡で、「最低居住水準」では、3人で39㎡とされている。今や「誘導居住水準」は、一生ハードに働き続けて、到達できる中流層、もしくは、週一日の休みもそこそこに働き続けても到達できない層が国民の多数を占めているのが実情ではないだろうか。
現在、消費税論が活発に議論されている中で、日本の政治家はヨーロッパの現状を基準に論じているが、
日本と、ヨーロッパ主要国とでは、まず、住居環境に対する政治的補助制度に明らかな違いがある。
国民の幸せと、国の繁栄を考える時、住居環境を中心にすえて考えていない事は、政策を打ち出す上での大きな問題と言える。住居環境は、人が安心して生活をする上での重要課題であり、また、根源的な課題でもある。
人が生きていく上で、誰もが明らかに必要としている物は、食べ物、衣類、家である。衣類に関して言えば、ユニクロの革命と言っても過言ではない低価格衣料品に救われている国民は非常に多いのではないだろうか。私はユニクロの社長は素晴らしい人だ!!と尊敬している。
食に関して言えば、粗悪な食べ物が横行している。食料自給率に関しても40%と非常に低い。
これら、三つの最も重んじられるべき要素の内、国家が政治的に主導権を持って対処されるべき二つの課題、
住宅と食に関して、共通のキーワードである「土地」に対する認識の改善が求められるのではないだろうか。
そして、土地とは、国土その物であり、国土をどのようにシェアするのか、その得策をマニフェストとしてあげていただきたいと、切実に願う。
衣食住が安定保証されて初めて、他者の為に何かしようと思えるゆとり、学ぼうとするゆとりが育まれるのではないでしょうか。
日本は、資本主義体制の民主国家ではなく、成熟した社会主義体制の民主国家目指して欲しいと思います。
2010年4月16日金曜日

この間、アメ横で買ってきた魚達、目がいっぱい・・・。
圧力釜で甘露煮にして食べました。ご飯のおかずに、酒のつまみにと、この魚達は大活躍でした。
圧力釜にかける前、きれいに並べて・・・写真パシャリ。綺麗だったので、つい写真をパシャリパシャリ・・。画像で見てみてビックリ!「気持ちワル・・コワッ・・ご苦労さん」
私達って、こういう事しているんだと、実感したほうが良いと思う。
我が家では、あまりお肉を食べませんが、
何故食べない理由は、
「わざわざ、動物を殺してまで、肉を食べたいと思わない」
「私は、豚は殺せない」
「他に食べ物があれば、それを食べれば良い」
と言うのが、一つ大きな理由です。
その他、無駄に体内酵素を使いたくない・・と言う年配者の意見も・・。
でもたまには、肉も食べます。鶏肉と豚肉です。牛肉はリスクが大きくて食べません。
そんな時私は、
「私は、たまには殺して食べる事が出来る;」
と心で思って買い物かごへお肉を入れるのですが・・・、
今、この文章を書きながら、「やっぱり・・・」とゾワッとしました。
で、買い物をする時に想像する豚や鳥の生前の姿・・、野山を駆け回って生きていた豚(それはいのししか、、)を弓矢とか、仕掛けた罠で殺して食べるのなら「うーん、それはよし」と、「上手そうな肉だ」と思う。しかし、狭くて暗い家畜小屋で身動きも自由に取れず、不衛生、ストレスで毛が抜けているような環境の中で生きて、殺させた豚、鳥を想像する時、私はそのお肉は食べれません。
私は、そのお肉は食べれない。
つい最近、黒マグロの漁獲禁止問題をクリアーした日本。あの件は、これとは違う事情や社会背景が在りますが、少し、肉やマグロを食べ過ぎなのではないかな?
我が家はお金持ちではないですが、(むしろお金を持っていない方だと思う)お肉を買う時は放し飼いの環境で育てられたお肉を買います。
それを買えない家計状態の時は、我慢します。
「質素な中に豊かさがある」
この事をもっともっと生活の中で実感する事で、本当に豊かな社会が形成されるのではないかなー。
「贅沢」と「豊か」とは、必ずしも一致しないと思います。
じゃがいも一つ、ご飯一膳から、どれだけの幸せを感じられるか。その濃さ、深さ、広がりにある幸せに向かって努力したいです。それには、時として、頑張らない姿勢も必要な時があるように思います。
2010年4月5日月曜日
願いは叶う

「親鸞」を読んだ。
すごく面白くて、上巻 下巻と分かれているこの本、
一度読み出したら、ドンドン読んでしまう。
忠範から範宴、綽空、善信、親鸞、そして最後は、
藤井善信。生きながらにして、4回生まれ変わった親鸞。
忠範の時の幼少時代に9歳で寺に入った。
叡山に上って、様々な修行をした範宴時代。
この時から既に、範宴は優秀な堂僧として一目置かれる存在だった。
法然房源信のもと、一つの悟りの境地に達した善信。
そして、法然房の弟子ではなく、それらと並ぶ独自の思想の道を歩み出した親鸞。
後に親鸞は、社会的には不名誉制事ではあったが、魂の歩みの中には、
親鸞が真に願った姿、藤井善信の人生があった。
人は、願っているように人生を生きていると思う。
きっと、本当に願っているように人生は流れると思う。
自分の人生は、自信の視線で見て生きたい。
それは、きっと、唯一無二の世界であって、
広く、共鳴しあった世界でもからだ。
最近私は、人生がとても客観的な存在に感じる。
人生が自分を操っている・・と、そんな風に思う事がある。
他者の視点から生み出される世界が複数混在している、
実に実体の危うい世界だ。
実体の無い世界に対して、「えー~~~」みたいな、捉え方もあるが、
私が感じるに、多くの人はその実体の無い世界で生き、
コミュニケーションしている。
何かと繋がった時、実在化する。
親鸞は素晴らしい人だ。是非会ってみたい。
日本橋三越で親鸞展があるから、見にいこー。
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